藤原仲麻呂

藤原仲麻呂

藤原四子の一・藤原武智麻呂の子。706-764。

藤原広嗣藤原永手藤原百川らの従兄弟に当たる。

後に淳仁天皇から恵美押勝?の名を賜った。


平城京内の左京四条二坊(現・奈良県立図書情報館南側)に、仲麻呂の邸宅である「田村第」が建っていたと考えられている。(この北側の区画・左京三条二坊には、長屋王?邸宅跡が建っていた)


仲麻呂政権

仲麻呂は光明皇后?孝謙天皇(46)からの信任を得、749年ごろから橘諸兄に代わって政権運営の主力となる。


養老律令」施行の757年と同年には、橘奈良麻呂の変が発生。

仲麻呂はこの変の阻止の功績を称えられ、翌年に即位する淳仁天皇(47)から「恵美押勝(=「乱に押し勝つ」という意味)」の名を賜る。


淳仁天皇からは寵愛されていた仲麻呂だが、前天皇孝謙天皇(この時は孝謙上皇)は道鏡を寵愛し始め、徐々に溝が深まっていく。

762年、孝謙上皇淳仁天皇を直接批判、天皇の国政権限の制限を宣言。


764年、仲麻呂道鏡の排除を目的とした「藤原仲麻呂の乱(恵美押勝の乱)」を起こすも、敗れ、近江(現・滋賀県)にて敗死した。

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